「認知症になった後でも家族信託はできますか?」
実際の相談現場ではこのようなご質問を受けることが頻繁にあります。私たち専門家は「元気なうちに認知症対策をしましょう」と言いますが、元気なうちから自分が認知症となった場合のリスクに向き合うことは簡単ではありません。そのため、認知症の兆候が表れたり、認知症という診断を受けてから専門家に相談するケースが多いのが実情です。
後述するように、家族信託を開始するために「判断能力」が必要となるため、一般的に認知症を発症した後は家族信託を開始することは難しいと言わざるを得ません。
しかし、状態によっては家族信託を始めることができる場合もありますので、すぐに諦める必要はありません。まずは一度弁護士や司法書士などの専門家に相談してみることが大切です。
そこで、本コラムでは、認知症を発症しても家族信託ができる場合と対処法について説明します。また、判断能力を喪失し家族信託ができなくなってしまった場合の選択肢である「法定後見制度」についても解説いたします。
皆様の今後の認知症対策にお役立ていただければ幸いです。それでは始めていきましょう。
1 「認知症=家族信託ができない」ではない
家族信託の利用検討しているのですが、父親に認知症の傾向が・・・
「認知症」だからといって、家族信託ができないというわけではありません。
よく誤解されていることではありますが、「認知症」を発症すると、必ず家族信託ができなくなるというわけではありません。話はそう単純ではありません。認知症であったとしても、判断能力があれば家族信託できる場合があるのです。
1-1 家族信託を始めるには「判断能力」が必要
● 判断能力がないと契約ができない
法律上、契約などの法律行為を行うためには、「判断能力」が必要とされています。
判断能力とは、これから自分がしようとしている行為の意味やそこから起こる結果を認識する能力をいいます。例えば、不動産の売買契約における売主であれば、契約を締結することよって自分にどういう事が起こるのか(自分は不動産の所有権を失い、買主に所有権が移転する。その対価として売却代金がもらえること)を理解していなければ契約を締結することはできません。売買契約を締結したとしても、その契約は無効となってしまいます。
民法の条文には次のように記載されています。ここでは、「意思能力」と「判断能力」は同じ意味の用語だと考えて差し支えありません。
民法 第3条の2(意思能力)
法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。
よって、認知症などによって判断能力を失ってしまった場合には、契約などの法律行為ができなくなってしまうのです。
● 家族信託は「信託契約」によって開始する
家族信託を開始するには「信託契約」を締結する必要があります。信託契約は委託者(財産の管理をお願いする側。家族信託では高齢の親であることが多い)と受託者(財産の管理をお願いされる側。家族信託では委託者の子供であることが多い)で締結します。
したがって、家族信託を始めるにも、当然ながら委託者と受託者双方に「判断能力が必要」ということになります。
その結果、認知症などによって判断能力が低下した場合には、家族信託をできなくなるリスクが出てくるのです。受託者の判断能力が問題となることはほとんどありませんが、委託者は高齢者がなることが多いので、契約締結時における判断能力の有無が問題となるケースが少なくありません。
判断能力は誰がどのように判断するのか?
「判断能力」があるかないかは一体誰がどのように判断するのでしょうか。相談やセミナーでよく聞かれる質問の1つです。
結論からいって、実は法律上これは明確に決まっているわけではありません。家族信託であればこれをサポートする弁護士や司法書士などの専門家・公証人、不動産の売買契約であれば不動産業者、預貯金の引き出しであれば金融機関の担当者など、何を行うかによって「判断能力を判断する人」は異なってきます。当然、人によっても判断が違ってくる可能性もあります。ケースによっては医師に診断を求めることもあるでしょうが、医師の診断があるからといってその判断によって法律上判断能力の有無が確実に決定するわけではありません。後々判断能力の有無をめぐって裁判となった場合には、裁判官が異なる判断をする可能性もあります。
また、判断能力は、行おうとする法律行為や契約ごとにその有無を判断していくことになります。例えば、信託契約を締結する判断能力はないけれども、遺言や任意後見を開始する判断能力はある、ということがあり得るということを意味しています。
このように、判断能力の有無を決定することは簡単ではなく、我々専門家にとっても非常に悩ましい問題です。特に判断能力の低下の兆候が見られるケースでは、その有無を判断することは容易ではありません。
このような背景から、冒頭に述べたように、専門家としては「誰の目からみても元気なうちに対策を開始しましょう」というアドバイスをせざるを得ないということになります。
1-2 軽度の認知症であれば家族信託ができるケースも
上記で説明したとおり、家族信託は判断能力がないと開始することができません。しかし、逆に言えば、認知症を発症していたとしても判断能力があれば家族信託ができるということになります。
認知症を発症していたとしても、まだ症状が軽度である場合やMCI(軽度認知障害)である場合には家族信託ができる可能性は残されています。
認知症という診断を受けている事実だけで家族信託ができなくなるわけではなく、あくまで「家族信託を開始できるだけの判断能力があるか」という点が重要になります。
なお、よく誤解されているのですが、「要介護認定」と判断能力の有無は直接は関係ありません。要介護認定というのは、日常生活にあたりどの程度第三者の介護を要する状態かを認定する仕組みですから、要介護認定を受けていたからといって「判断能力がない」とは限りません。例えば、身体的な機能の低下によって食事や排泄などを自力で行うことが難しい状態のため要介護認定を受けていたとしても、判断能力があれば家族信託を行うことはできます。
1-3 最低限「この5つ」が理解できないと家族信託はできない
家族信託を開始するためには、信託契約の内容が理解できる程度の判断能力がなければなりません。それでは、どんな点が理解できていれば「判断能力がある」と判断できるのでしょうか。
家族信託という制度の趣旨や特徴から考えて、最低限次の5つを理解している必要があると考えられます。いずれも信託契約書を作成する上で非常に重要な事項です。信託契約の締結時点でこれらが理解できていないとなると、家族信託を開始することは難しいと判断せざるを得ないでしょう。
したがって、遺言書を書く際に誰に財産を渡すのかを理解していなければならないように、家族信託においても帰属権利者を理解している必要があると考えられます。
2 判断能力低下後に家族信託を始める際の5つの注意点
家族信託を開始するにはどのようなことに注意したらいいですか?
次のとおり安全に家族信託を開始するために「5つの注意点」があります。
認知症などによって判断能力が低下してしまったとしても、家族信託ができる可能性はまだ残されています。
しかし、仮に信託契約を締結し家族信託ができるとしても、判断能力が低下した状態で家族信託を始める場合には、後々家族信託の効力をめぐってトラブルになるリスクがあります。
争いになってしまうリスクを最小限に抑えるために次の5つの点に留意しましょう。
【5つの注意点】
注意点① スピーディーに手続きを行う
高齢者の認知機能の低下は、周りが考えるよりも早いスピードで進む可能性があります。家族信託の手続きをスタートした際はまだ判断能力があったとしても、その後信託契約を締結するまでに判断能力を失ってしまうリスクが考えられます。私もこれまで何度もそのようなケースに遭遇してきました。
家族信託の手続きはできる限り早く進めることが重要です。スピーディーに開始するためには家族信託の実務経験豊富な専門家に依頼した方が賢明といえるでしょう。
注意点② 公正証書で信託契約書を作成する
家族信託を開始する際は、委託者と受託者が信託契約を締結します。信託契約書の形式については、法律上決まっているわけではありませんので、私文書で作成することも可能です。
しかし、判断能力が低下した後に信託契約を締結する際は、必ず「公正証書」で契約書を作成するようにしましょう。
公正証書とは、公証人が作成する公文書のことをいいます。公正証書によって信託契約書を作成することによって、信託契約書が契約当事者(委託者・受託者)の意思に基づいて締結されていることを公証人が確認することになります。その結果、信託契約が真正に成立しているとの強い推定が働くことになります。
家族信託の契約書を公正証書にすることによって、契約の効力や内容の解釈などを巡って後々トラブルに発展するリスクを最小限に抑えることができます。
信託契約書を公正証書で作成する際の詳しい説明は下記のご覧ください。
注意点③ 医師に診断書を書いてもらう
信託契約を締結する際に判断能力を十分に有しているかどうかは、周囲からは容易に判断がつかないケースもあります。家族信託の専門家とされる弁護士や司法書士も、法律の専門家であって判断能力を判定する専門家ではありません。
そこで、信託契約の締結にあたり、医師の診断を受けて判断能力が十分であることを確認する方法が考えられます。医学的な見地から判断能力を判定してもらうことで、後々のトラブルを防止することが可能です。診断書の作成は本人の状態をよく把握しているかかりつけ医に依頼するとよいでしょう。なお、上述のように医師の診断書があったとしても、法律上必ずしも判断能力があったということになるわけではありませんので注意が必要です。
注意点④ 委託者の推定相続人全員の同意を得る
信託契約の有効・無効をめぐる争いは、相続人の間で起こる可能性が最も高いです。例えば、父親を委託者、長男を受託者とする家族信託において父親の死亡により信託が終了した後に、二男が信託契約の効力を否定するようなケースが考えられます。
家族信託には、信託終了後の財産の帰属先を決定できるという実質的に遺言と同じような機能がありますので、遺言書と同様に財産の帰属について相続人の間でトラブルが発生する可能性があります。
したがって、家族信託を行う前に委託者の推定相続人全員の同意を得ておくことで後々のトラブルを防止することができます。
注意点⑤ 信託契約書をできるだけシンプルな内容にする
判断能力があるかどうかは、行為や契約ごとに判断されることになります。そして、行為や契約ごとに求められる判断能力の程度は異なってきます。
つまり、簡単な契約と難しい契約とでは、契約締結にあたり必要となる判断能力の程度は異なってくるということです。簡単な契約よりも高度な契約の方が、求められる判断能力の程度が高いということになります。同じ人であっても、簡単な契約の判断能力はある、難しい契約の判断能力はない、ということがあり得るのです。
よって、信託契約書を作成する際もできる限りシンプルな内容とした方が判断能力が認められやすいといえるでしょう。
3 家族信託ができない場合は法定後見制度の利用を検討する
3-1 判断能力を喪失した場合の選択肢は法定後見制度のみ
● 成年後見制度とは
【成年後見制度の概要】
判断能力が低下した後の財産管理の制度として、家族信託のほかに「成年後見制度」という制度があります。
成年後見制度とは、認知症、知的障害、精神障害などが原因で判断能力が不十分な方々を保護し、支援するための制度です。例えば、認知症を発症し判断能力が低下すると、自分の預貯金や不動産などを自分で管理することが難しくなります。また、判断能力が低下してくると契約内容が理解できず、詐欺や悪徳商法のターゲットになるリスクもあります。成年後見制度を利用し成年後見人が本人に代わって財産を管理することによって、これらの方々の財産を守ることができるようになるのです。
成年後見制度は、家庭裁判所が運用しており、大きく分けて「法定後見制度」と「任意後見制度」の2つがあります。
「法定後見制度」とは、本人の判断能力が低下した後に、家族などの申立によって家庭裁判所が後見人を決定する制度です。判断能力の程度に応じて「後見」「保佐」「補助」の3つの類型があります。法定後見が開始した後は、家庭裁判所によって選ばれた成年後見人等(後見人、保佐人、補助人)が、本人の財産管理などを行います。成年後見制度によって保護される本人は成年被後見人等(被後見人、被保佐人、被補助人)と呼ばれます。また、家庭裁判所の判断により必要に応じて、成年後見人等を監督する成年後見監督人が選任される場合があります。
これに対して、「任意後見制度」とは、本人に十分な判断能力があるうちに、判断能力が低下した場合に備えて、契約によって事前に後見人を決めておく制度です。任意後見制度では、任意後見人を監督する任意後見監督人が必ず選任されることになっています。
● 判断能力喪失後は「法定後見制度」しか選択肢がない
認知症の発症などによって判断能力がなくなってしまった「後」は、「法定後見制度」を利用するしかありません。他に選択肢がありません。家族信託などの認知症対策は判断能力がある元気なうちでないと行うことができません。
3-2 法定後見制度の注意点
法定後見制度の利用にあたっては、次のような注意点があります。
【後見人の報酬の目安】
3-3 法定後見を開始する際の手続・費用
● 法定後見を開始するには、家庭裁判所に申立を行う必要がある
法定後見の申立は、本人の住所地を管轄する家庭裁判所に対して行います。申立にあたっては、様々な書類を作成し、準備しなければなりません。主な必要書類は下記のとおりです。
・ 診断書(成年後見制度用)
・ 診断書付票
・ 本人情報シートのコピー
・ 愛の手帳のコピー(交付されている場合のみ)
・ 本人の戸籍個人事項証明書(戸籍抄本)
・ 本人の住民票又は戸籍附票
・ 本人が登記されていないことの証明書
・ 後見人等候補者の住民票又は戸籍の附票
・ 申立事情説明書
・ 親族の意見書
・ 後見人等候補者事情説明書
・ 財産目録
・ 相続財産目録(本人が相続人となっている遺産分割未了の相続財産がある場合のみ)
・ 収支予定表
・ 財産関係の資料(該当する財産がないものは不要)
・ 預貯金通帳のコピー,保険証券・株式・投資信託等の資料のコピー
・ 不動産の全部事項証明書
・ 債権・負債等の資料のコピー
・ 収入・支出に関する資料のコピー
申立手続きの詳細は、下記をご覧ください。申立の手続きは弁護士や司法書士に依頼することも可能です。
・法定後見にかかる費用
法定後見の費用には申立にかかる費用(初期費用)と法定後見開始後にかかる費用(ランニングコスト)があります。
①申立手数料及び後見登記手数料
収入印紙 3400円分(内訳:800円分+2600円分)
②送達・送付費用
審判書を送付したり,登記の嘱託などに必要な郵便切手です。
- 3270円分 (内訳:500円×3,100円×5,84円×10, 63円×4,20円×5,10円×6,5円×2,1円×8)
③鑑定費用
本人の判断能力がどの程度あるかを医学的に判定する手続を「鑑定」といいます。
申立時に提出していただく診断書とは別に、家庭裁判所から医師に依頼して行われます。鑑定が行われる場合、10万円~20万円程度の費用が別途必要となります。なお、鑑定は必ず行われるというわけではありません。「後見関係事件の概況-令和2年1月~12月最高裁判所事務総局家庭局」によれば、成年後見関係事件の終局事件のうち、鑑定を実施したものは、全体の6.1%(前年は約7.0%)です。
④医師の診断書の作成費用
費用は病院によって異なりますが、5,000円~10,000円程度が一般的です。
⑤住民票や戸籍抄本の取得費用
自治体によって異なりますが、住民票であれば1通300円程度、戸籍抄本であれば1通450円程度かかります。
⑥登記されていないことの証明書の取得費用
1通あたり300円の取得費用がかかります。
⑦専門家の報酬
成年後見の申立手続きを専門家(弁護士・司法書士)に依頼した場合、依頼する専門家によって異なりますが、10万円程度の報酬がかかります。
4 まとめ
最後までご覧いただき誠にありがとうございました。いかがでしたでしょうか。
親が認知症と診断されてしまった場合であっても、諦めるのはまだ早いです。法定後見の申立を行う前に、一度司法書士や弁護士など専門家に相談をしてみましょう。
それでは、最後に本コラムのまとめです。
● 認知症になったからといって、直ちに家族信託できなくなってしまうわけではない
● 家族信託を開始するには、最低限理解できないとならない事項が5つある
①信託目的
②受託者
③信託財産
④信託の期間
⑤帰属権利者
● 判断能力が低下した後に家族信託を開始するには5つの注意点がある
注意点① 財産が裁判所の監督下に置かれる
注意点② 後見人は家庭裁判所が決定する
注意点③ 本人が亡くなるまで止めることができない
● 家族信託が利用できない場合には、法定後見制度の利用を検討する
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